すれ違いの狭間で (Y)




「最近、丕の奴が曹真と一緒にいるそうだが・・・」

曹操は司馬懿にそんなことを言った。

しかも前触れもなく、突然にである。

「・・・そのことは存じておりましたが、今の私には何の関係もございません」

司馬懿は何てことない気のない言葉を吐き出した。

曹操にして見れば、彼の変化する表情を見たかったのだが。

曹真と曹丕にしても兄弟のように育てた。

司馬懿と曹真も仲がよかったのも知っている。

ただ、それだけでは司馬懿の心は揺れない。曹操は半分あきれ気味にため息を吐いた。

いつものように、司馬懿は衣服を整え、部屋からでようとする。

それを曹操は寝台から起き上がって、呼び止めた。

「司馬懿…」

司馬懿は首だけ少し後ろへと向ける。

「……いや…何でもない…」

曹操は苦笑いをこぼしながら、部屋を出て行く司馬懿を最後まで見つめていた。




曹丕は久しぶりに館へと帰った。

あれから、司馬懿が父上の元へ去ってから、曹丕の仕事は増えた。

増えたといっても、司馬懿が手伝っていた分が自分に戻ってきただけで、量的には変わらない。

たまに、曹真が手伝いに来たり、張コウが冷やかしに来るだけだった。

それもあって、館へ帰ることが出来なかった。しかし、司馬懿と居た頃よりもその帰る回数は多くなった。

「お帰りなさい・・・あなた」

下女と並んで、妻の甄姫が優しく迎えた。

元袁紹の次男、袁熙の妻であったが、曹丕が見初めて、連れて帰ってきた。

今では、曹丕を理解する一人である。

もちろん、司馬懿との関係も知り、曹真の想いにも感づいている。

初めて司馬懿との関係を知ったときは甄姫は曹丕を汚らわしいと思ったほどだったが、

二人を見ているうちに、段々と考えが変わっていった。

「甄姫・・・後で部屋にこい・・・」

「・・・わかりましたわ」

曹丕はそのまま、部屋の中へと消えていった。





コンコン

「入れ」

曹丕の静かな声が部屋に充満し、同時に甄姫が入ってきた。

曹丕はすでに寝間着姿である。

甄姫も煌びやかな服ではなく、しっとりと落ち着いた服を着ていた。

装飾品なども抑えていても、甄姫は品がある美しい女性であった。

「・・・甄姫・・・」

つぶやくと、曹丕はそのまま、甄姫を包み込むように抱きしめた。

甄姫もそっと、腕を伸ばして、抱きしめた。

「・・・すまない・・・甄姫。いつもそなたに・・・無理をさせている・・・・」

甄姫は司馬懿と曹丕の関係を知っている。

司馬懿が曹丕の側を離れたことも知っている。

表向きは曹操が再度召抱えた、のだが・・・。

「・・・私が妻であるそなたを・・・大切にしてやらねばならないのに・・・・

私は・・・仲達のことが忘れられぬ・・・・」

静かに、言葉をつむぐように、話す曹丕は震えているようにも感じた。

甄姫は一瞬。泣いているのかと思った。

甄姫はただ、微笑んで、曹丕を優しく包み込んだ。

「・・・甄姫・・・しばらくこうしていてくれ――」

「えぇ・・・」

二人はしばらく抱きしめあっていた。






その頃、曹真は夜更けにも関わらず、部屋に司馬懿を無理やり呼んだ。

司馬懿は珍しく押しの強い曹真に驚きつつ、たまにはいいだろう。と、誘いに乗った。

「珍しいではないか。曹真殿が私を呼ぶとは・・・」

椅子に座り、酒を差し出した。

「たまには、飲みませんか?司馬懿どの」

「それもよろしかろう・・・」

司馬懿はクスリと笑みをこぼした。

杯に並々と酒が注がれ、小さく、乾杯をした。

曹真と司馬懿はしばらく、酒を愉しんだ。

「曹真殿。そろそろ、本題に入って欲しいのだが・・・」

「やはり、司馬懿どのには敵いませんか。ならば、私の言いたいこともお分かりでしょう」

曹真は苦笑いを浮かべ、酒の入った杯を口に運んだ。

「・・・曹丕・・・様のことであろう?」

曹真は淡々とこぼれる司馬懿の言葉に少し、ため息を吐いた。

「お側に・・・お戻りになられてくださいませんか? 私は貴方の代りに曹丕さまの側にいます。

しかし・・・私にはそれが辛い…」

「……それはできぬ。曹丕さまの側には曹真殿がいる。それ故、私は離れたのです」

一瞬、司馬懿の表情が暗くなった。

「何故ですか? 何故、二人が離れなければならないのですか?私にはそれが理解出来ない」

曹真が身を乗り出して、興奮気味に言った。酒も入っているせいもあるだろうが、

普段の彼からは想像が出来ないほど、積極的だった。

「私が仕えたのは殿である曹操様であり、曹丕さまではない。それに・・・たとえ、お互いがそうであっても

ずっと、共にいるとは限らぬ。そういうときもあろう・・・」

司馬懿は少しずつ、酒を口に運んだ。それもあってか、酔いはまだ回ってきていなかった。

ふと、司馬懿は思い出したように、懐から一つの手紙を取り出した。

「曹真どの。これを曹丕さまに渡して頂けないか?」

曹真はうなずき、それを受け取った。

そして、司馬懿は杯の中の酒を一気にあおると、立ち上がった。

「私はこれで、失礼する」

「司馬懿どの」

曹真も立ち上がると振り向きもしない司馬懿の後ろ姿を見つめた。

「・・・私の気持ちを知っておりましょう・・・?」

「好きにすれば・・・よろしかろう。曹丕さまが貴殿を求めたなら・・・ば・・・」

それだけ言うと司馬懿は、結局振り向きも、動揺しないまま、部屋を出て行った。

曹真は力なく、椅子に身体をあずけてしまった。

「・・・司馬懿どの・・・私は・・・・」

曹真は司馬懿と曹丕が楽しそうに笑いあっているのが好きだった。

滅多に感情を出さない二人にとって珍しいことなのだ。

それ故、曹真は好きだった。

司馬懿を揺さぶらせようとした言葉も司馬懿には全然、効果がなかった。

しばらく、呆然とした曹真は手紙を曹丕に渡そうと立ち上がったが。

内容が気になった。

曹丕さまに渡すもの。内容的には曹丕さまに関することなのだろうか。

それとも司馬懿の気持ちを綴ったものなのだろうか。

いろんな思考をめぐらすと、ますます曹真は気になり始めたが。

思いとどまり、部屋を出て行った。

ドンッ

部屋を出た曹真の頭に痛みが走る。

そのまま、曹真は尻餅をつき、懐にしまってあった手紙が宙を舞った。

ぶつかった給仕は一心腐乱に謝り続けたが、曹真は大丈夫と一言いって、その場から遠ざけた。

手紙を拾おうとした、曹真はその落ちた拍子に手紙の紐が緩み、中が見えていた。

そこには・・・・

ただ・・・・

一言・・・


【――子桓さま――】


の言葉のみだった。

曹真はその言葉を見た瞬間、心臓が縮まり、息が詰まった。

そして・・・涙が流れた。





つづく