薬草と毒草 T
――司馬懿・・・仲達・・・か――
夕暮れ時、曹操は私室へ向かう途中の廊下を一人歩いていた。
ここ数日の間、曹操は思い出したように司馬懿のことを考えるようになった。
司馬家の八達の中でももっとも智謀があると言われた司馬懿。
ほぼ、無理やりに登用し、荀ケの元で仕事をさせていたのだが、
同僚との確執で、結局、曹操の息子の曹丕の世話係にさせた。
曹操は司馬懿を見るたびに、若くして去った、郭嘉の言葉を思い出す。
――殿、毒草にお気をつけください。
一度、毒草が体内に入れば、それは・・・
貴方を蝕む薬草となりましょう――
【薬草】も【毒草】も使い方次第で【毒草】にも【薬草】にもなる。
郭嘉は臨終間際にそう、告げた。
それが、郭嘉の最後の言葉だった。それ故、曹操はその言葉を忘れずに居られなかった。
「司馬懿は果たして・・・どちらなのか・・・・」
「・・・私がどうかされましたか?」
突然、司馬懿が後ろから、やってきた。
つぶやくように言ったつもりだったのだが、どうやら聞こえてしまったらしい。
曹操はびっくりしながら、司馬懿の方に振り向いた。
「・・・いや、別に何でもない。それよりも丕とは上手くやっているようだが・・・?」
曹操は無理やりに話を変えた。
「別にご報告するほどのことでもありませんでしょう? 殿ならば、すでにご存知のはずですから・・・」
曹操は許都内部にも間者を放っている。
当然、司馬懿や曹丕の身辺にも多少の護衛もさせていた。
曹丕は跡取りである。少し前まで、弟の曹植と後継者争いをしていたが、
曹操の一言で、それは収まった。
確かに、司馬懿と曹丕の仲はいい。そういう情報は入ってくる。
果たしてそれが本当なのか、どうかは定かではないが、問題はないようだ。
それに、曹丕は司馬懿を気に入っている。
時々、司馬懿を抱いている。
そんなことは別に曹操は気にしてはいない。
曹操も夏侯惇とそういう関係なのだから。
それでも、曹操は息子の曹丕と司馬懿の二人を好きにはなれない。
「・・・・殿・・・?」
曹操はその声にビクッと身体を振るわせた。
目の前には司馬懿が不思議そうな顔で覗き込んでいた。
曹操はさらにびっくりした。
「・・・お体の具合がよろしくないのですか?」
「・・・いや・・少し考え事をしていたようだ・・・」
どうやら、考えごとに夢中になってしまっていたようだ。
司馬懿は少しため息を吐くと、再び曹操の方に視線を送る。
曹操はその視線が気になった。
「何か用か?」
曹操のその言葉に司馬懿は笑みを軽くこぼした。
「・・・考え事というのは・・・私めのことでございますか?」
スッ。
司馬懿の手が曹操の肩と腰を捉え、そのまま、引き寄せた。
「ん・・・んん・・・・」
突然の口付け。
曹操は何が起こったのか理解できず、ただ大きく目を見開いていた。
「ん・・・う・・・んん・・・」
呼吸のタイミングを外し、息を止めている状態の曹操はそれから逃れようと、
司馬懿の身体を引き剥がした。
「はぁっ・・・ふはぁ・・・」
ようやく、唇が離れるが、それもつかの間。
またもや、司馬懿の唇によって、塞がれてしまった。
「や・・・やめろ・・・司馬・・・懿・・・誰かが・・・来たら・・・」
もがく曹操に、司馬懿は強引に口の中に侵入する。
「ん・・・ふ、、、ん・・・」
舌と舌が混ざり合い、奇妙な音を立てる。
夕暮れ時の廊下――誰かが通りかかってもおかしくない場所。
そんな場所で司馬懿は濃厚な口付けを曹操に浴びせていた。
そんな場所での行為だったからなのか、曹操の身体は気持ちとは裏腹に次第に熱を帯びる。
「・・・んん・・・・」
絡み合う二つの舌。そして、それに伴う音。
曹操はいつの間にか、目を閉じていた。
「殿・・・」
曹操は司馬懿の腕の中でぐったりとしていた。
荒い息を静かに整えている。
「・・・気持ちよかったですか・・・?」
その司馬懿のつぶやきに曹操の顔がカアーと赤くなった。
途中までは覚えがある。それ以上先は覚えがない。
夏侯惇ならば、話は別だが、それが司馬懿にしてやられたとならば、
曹操にしてみれば、悔しい。
事実、否定は出来ない自分がいるのだから、余計だった。
「・・・一体・・・何が・・・目的だ?」
司馬懿は曹操に睨まれながらも、曹操の身体を引き寄せると、耳元でささやいた。
曹操の身体がゾクッと震えた。
「フフ・・・ここでは何かと・・・・」
司馬懿は廊下をぐるりと見渡した。
曹操は脱力感の残る身体を引きずって、司馬懿を自分の私室へと招きいれた。
「説明してもらおうか?」
曹操は部屋に入るなり、司馬懿にキッと睨みつけながら、言い放った。
戸の前に立つ司馬懿は無表情ながらも、曹操を見つめた。
「・・・殿のすべてを・・・頂きたい――」
司馬懿は恥ずかしもせず、冷淡にそう、言った。
その射抜くような視線に曹操はゴクッと生唾を飲んだ。
「・・・・お前のモノになれというのか・・・?」
「はい」
司馬懿は即答した。
その返事に曹操は微かに笑みをこぼした。
「わしには、夏侯惇がいる事も知っておろう? それに・・・丕はどうするのだ?」
お互いに相手がいる。身体の関係までいった仲である。
曹操は息子のことを口にしたが、実際に心配しているのかどうかわからなかった。
ただ、口実が欲しかっただけかも知れない。
「私めは貴方のためだけに・・・この智謀を使いましょう――」
司馬懿は少しづつ、曹操の側へ歩み寄る。
「去れ、司馬懿。お前が何を考えて、そういうことを言ったのかは分からぬが、
わしにはそれに答える義務はない。二度と、わしの前でその言葉を吐くことは許さん」
曹操は近づく司馬懿を一喝した。
「・・・殿・・・私めは諦めません。いつか必ず――」
司馬懿は落ち込む様子もなく、逆に余裕の笑みを浮かべて、その場を立ち去った。
その立ち去った後を曹操はしばらく見つめていたが。
最後まで曹丕のことを口にしなかったことに対して、曹操は苦笑いを浮かべた。
――殿、【毒草】にお気をつけください。
一度、【毒草】が体内に入れば、それは・・・
貴方を蝕む【薬草】となりましょう――
つづく