父から譲り受けるもの 続




息子である曹丕を抱いてしまった。

部屋に戻った曹操は感情を抑えることが出来なかった自分に途方もなく腹を立った。

曹丕だと知り、抱いた。

その父に似ている姿、非情な性格・・・。

自分だと、錯覚させるほどの息子。

会話があまりなかった分、かまってしまう自分がいる。

息子をあんな風にしたのは自分。

もう、息子を失いたくないという想い。

長子、曹昂を失くしたとき、曹操は一滴の涙は流さなかった。

泣くのは簡単なこと。

そこに感情がなくとも、泣くことは誰でも出来る。

泣いたとしても、死んだものは生き返ってこない。

だから、曹操は泣くことはしなかった。

その想いを胸中に秘め、天下を抱きつづけた。

それが、息子曹昂が願った想いだったから。

それが、曹丕をあんな風にしてしまったのか。

「子桓・・・わしは・・・」

息子に対する想いを曹操はまだ、気づいていなかった。



父に抱かれた。

自らが望んだことなのか。

抗えば、出来たはずなのに・・・。

曹丕は冷え切った身体を寝台の上に預けていた。

まだ、父の手と指の感触が残る身体と唇。

脳裏の奥で想い浮かべば、再び、気持ちとはうらはらに気分の高ぶりに襲われる。

――相手は父ぞ・・・それを私は――

首を振り、頭から身体から全ての事実を消そうとする。

それでも・・・浮かんでは消える父、曹操の顔を消すことはできなかった。

「私は・・・そんなことを望んでいない・・・」

曹丕は顔を手で覆い、つぶやいた。



曹操と曹丕が微妙にギクシャクしていることは諸侯は気にとめることはなかった。

もともと、二人は会話はあまりなく、それらしい会話といえば、戦のことばかりだった。

それもあって、二人にそんなことがあったと気づくものはない。

いるとすれば、張コウと司馬懿の二人くらいだった。

「どうします、司馬懿どの・・・?」

張コウは知恵者である司馬懿に話を持ちかけた。

いくら張コウが色恋沙汰の経験が豊富としても今回は勝手が違う。

一人で悩んでも埒があかない張コウは思い切って司馬懿にも同じ苦痛を、と思った。

「どうするといっても、二人があれではどうもできぬ」

「ですが、私は心が痛いのです。事実を知っている私には知らぬフリなど、出来ようがありません」

張コウは手を胸に当て、自分の気持ちに酔っているようだ。

司馬懿はそれを面倒に思いながらも、張コウを横目でサラリと流した。

と、いってもこのままではやはり、目覚めが悪い。司馬懿はそう思う。

「二人を和解させるのが一番の近道だが・・・」

張コウにそうはいってみたが、それが一番の難しいところであった。

二人は静かにため息を吐いた。

「とりあえず、二人の気持ちを確かめるのも大事ではありませんか?」

「うむ、そうだな。二人が何を望んでいるのか、確かめるのも悪くあるまい」

うまくいけば、それでいい。いい案が浮かばない今は地道にやるしかない。

司馬懿と張コウはそう納得させて、そのまま別れた。

曹丕には司馬懿を、曹操には張コウを当てて、探ろうといったところ。

果たしてうまくいくかどうか。




トントン

「誰だ?」

曹丕は気持ちを落ち着かせようと、茶を飲んでいた。

「司馬懿でございます」

今夜くるとは聞いていないが、曹丕は気晴らしになると思い、司馬懿を部屋に招いた。

司馬懿は曹丕の世話係で補佐をしていた。

曹丕自身もよく頭の切れる司馬懿を重用していた。

使える男だからだ。

何も言わなくても伝わる。

だが、心の奥深くに眠る闇は計り知れない。

「何用か、仲達」

司馬懿は曹丕の薦めで向かいに座り、茶を頂いた。

「突然の訪問、失礼します」

司馬懿は曹丕の顔色を慎重にうかがいながら、話をきりだした。

「先日、風呂場で・・・」

司馬懿がそこまでいうと、曹丕はその言葉を悟って、彼の言葉をさえぎった。

「見たのか?」

司馬懿ははい。といってうなずいた。

その返事に曹丕はそうか。と別に恥ずかしがることもなく、答えた。

曹丕は椅子から立ち上がり、窓を見つめた。

窓から見える夜の星空はとても綺麗だった。

「仲達よ、私にはわからないのだ。あの時抗おうとすれば、できたものを、しなかった・・・」

抱かれたことよりも、そのことが曹丕にとって、気にしていたことだった。

抗えば、それで終わるはずだったのに。

自分の気持ちがわからないのだと。

司馬懿は茶を静かにすすり、曹丕の背中をみつめた。

「子桓様。それは貴方が父である殿に会って確かめるべきでありましょう」

それ以上のいい言葉が司馬懿には浮かんでこなかった。

司馬懿はお茶を飲み干してから、退室した。





同じころ、曹操の部屋には張コウが訪れていた。

同じように、曹操は張コウに茶をだしていた。

しばらくの沈黙の中、曹操は張コウが言葉を発するよりも先に言葉を投げかけた。

「わしはな、張コウ。あいつが・・・好きでたまらないのじゃ」

ふと、つぶやいた曹操の言葉。

張コウがどのような理由でココにきているのか知っているような口調ぶりだった。

もちろん、あいつとは息子である曹丕で間違いないが、

突然にそんなことをいわれても戸惑うばかりの張コウだった。

「あいつはわし以上に鋭い男だ。この治世を盤石なものにするであろう。

だからこそ、わしはあいつを失いたくないと思った」

曇りのない双眸。曹操はまっすぐに張コウを見つめていた。

その視線、どこまでも自分の信念を貫き通し、すべてを凌駕する圧力と力をもつ男の瞳。

それに張コウは惚れた。

袁紹を見限り、彼についた理由。

「殿、ときには、言葉で伝えなければ伝わらないこともございましょう」

曹操は多くを語らない。軍師にも諸将にも謎解きな言葉や遠まわしでいう癖がある。

それもあって、本気で彼の信念を悟っているものは多くはない。

それでも、張コウのように何かに惚れてくるものがたえなかった。

曹操はその張コウの言葉にかすかに笑みをこぼした。

「お前の言うとおりであろうな。わしはあいつが苦手なのだからな・・・」

そういった、曹操の表情が一瞬、悲しげだったのを張コウは見逃さなかった。

そんな折、戸をノックする音がしん、となった部屋を駆け巡った。

部屋に入ってきたのは息子の曹丕だった。

その姿を張コウは確認すると、曹操に一礼し、退室していった。

部屋には再び、緊張感のようなピンとした空気が流れ始めた。

曹操は曹丕に席にすわるようにすすめ、今度は茶ではなく、曹丕に酒をだした。

「少しはいけるであろう、子桓?」

そういった曹操の顔がぎこちなかったが、曹丕は並々と注がれた杯を手に、一気にあおった。

「いい飲みっぷりだのぉ」

二人はしばらく、酒の味を楽しんでいた。

それすら、親子でありながら、初めて酒を交わしたのであった。





つづく


次で最後でございます。いや、何だか曹操とか別人になりっぱなしで、どうしよう。
それいじょうに、これがこんなに続くとは思いませんでしたが(汗)
やっぱり書きなれないCPに緊張と恥ずかしさはありましたが、
さて、どうなることやら。