忠義(前編)








「どうした、酒が進んでおらぬが・・・?」

曹丕の部屋に曹真が訪れていた。

杯の進まない曹真を見かねて、曹丕はふと、声を漏らした。

「いえ、そんなことは・・・」

最近、曹真が元気ないのに気づいた曹丕は景気づけようと酒に呼んだ。

始めは曹真は気分が優れないから≠ニ断っていたが、

曹丕はそんな彼を強引に誘った。

結果、今に至る。

それでも、曹真は元気にならない。

まぁ、そんなことでは元気になるはずもない。

曹丕はそう思ったが、元気になって欲しいと願っていた。

二人は血のつながりはないが、兄弟のように育った。

曹真の父、秦邵(しんしょう)、字を伯南(はくなん)が

曹操の身代わりになって殺されたため、曹操から曹$ゥをもらい、

孤児になった曹真を曹操が引き取ったのだ。

「子丹、そう硬くなるな。今日は飲み明かそう」

曹丕はそこまで言ってから、あることに気がついた。

「そういえば、明日から戦だったな。それで遠慮してたのか?」

子供のような無邪気な顔を近づけて、曹丕はそう言った。

「・・・・それも・・・ございます。軍権を任されましたので」

「そうか。よし、前祝いといこう」

曹丕はそれでも一緒に飲もうとしている。

曹真の少なくなった杯に酒を並々と注ぐ。

人のことはお構いなしだが、とっても曹丕は嬉しそうだった。

曹真は暗い顔を落としつつ、その曹丕の笑顔を直視できずにいた。

身体にグサリグサリと刺される痛みに伴って、

その笑顔は彼にとって凶器だった。

無論、曹丕は知らない。

曹真が曹丕に対して、特別な感情を持っていることを。

いくら共に育ったといっても主従関係は変わらない。

ただ、距離が近いだけ。

そして、その分だけ、苦しいということも・・・。

「子桓さま・・・司馬懿殿とも・・・こうして酒を・・・?」

曹真の口から予期せぬ言葉が出た。

それには曹真自身が驚いている。

誰もが、司馬懿と曹丕が仲がいいことを知っている。

それ以上の関係があることはごく、一部の人間のみが知っていること。

曹真も知っていた。

ずっとしまい込んでいた想い。

死ぬまでこの想いは蓋を開けないままだろう。

それでも想い人に相手ができたという事実は痛かった。

「うむ、そうだが・・・それがどうかしたのか?」

曹丕の顔はさらに笑みが増え、眩しく見えた。

本当に司馬懿のことが大事なのかが、よくわかった。

曹真の傷がさらに広がった。

聞かなくてもいい、予想通りの答えが返ってくることがわかっているのに、

バカな事を言った自分自身に曹真はあきれ返った。

――届かない想い――

それをワザと忠義≠ニいう言葉に置き換える。

多少は楽になる。

そうすることで、その想いは忠義≠ナあって、それ以上でもない。

そう、思うことで・・・・心を誤魔化しつづけた。

それでしか・・・想いは伝わらない。

伝わっていても、それは忠義∴ネ上にはならない。

それでもいい、とも思った。

でも――

痛みは治まらなかった・・・。

「子丹・・・?」

うつむいて、黙っている曹真を曹丕は不思議に思い、声をかけた。

「・・・もしかして・・・妬いているのか?」

曹丕は曹真の心を見透かしたような意地悪な表情を曹真に向けた。

その言葉に曹真はドキッとした。

「・・・そ、そんなことは・・・」

それでも何とか、否定しようと言葉をつなげるが、

動揺して、うまく言葉にならなかった。

「子丹・・・重ねてみるか・・・・・?」

「――っ!?」

二人を包み込む空気が一瞬、引いた。

曹丕特有の悪い癖。

ワザと期待させるようなことを言って、面白がる。

嘘だと分かっていても、本当のように感じる時さえある。

言葉巧みに虜にさせる。

それでいて、悪い気はしない。

それは、彼のことが好きだからなのか。

紛れもない嘘なのに、期待を抱く自分自身が嫌になる。

卑しい、とさえ感じる。

「し・・・子桓さま・・・?」

期待と絶望の混じる心の葛藤で呆然とする曹真。

曹丕は手にした杯を口に運び、喉を潤すと笑みを浮かべた。

「――冗談だ・・・」

そう、言った。

曹真はその言葉でうつむいた。

そして、杯の中の酒を一気にあおった。

カツン

杯が台の上に置く音が響く。

「・・・・貴方は・・・意地悪なお人だ・・・・」

つぶやくように曹真は口を開いた。

その直後、カタッと音を立てて、曹真は立ち上がった。

「――そして・・・罪なお方だ・・・・」

曹丕はいつもと違う雰囲気の曹真に危機感を感じた。

ガッ

曹真の両手が曹丕の肩を思いっきり掴む。

そして、引き寄せられた。

「なっ!?」

曹丕は驚くや否や、曹真に素早く唇を重ねられ、つづけて首筋に愛撫を受けた。

曹丕は不快感を覚え、力の限り、その腕を振り切った。

「な、何をするっ! 子丹っ!!」

曹丕は衣服を整えながら、怒りを露にして、曹真に怒鳴りつけた。

「し・・・子桓・・・さま・・・」

その声に曹真はハッと我に返ったのか、

自分の犯した行動に一瞬にして、顔面蒼白になった。

「真よ。何をしたか・・・分かっているな?」

曹丕はいくらか怒りを抑えながら、静かに言った。

曹真は何も言えずに、ただ。身体を震わせていた。

「曹丕さま・・・も、申し訳ございません」

誤ってすむ問題ではないが、曹真は涙を流しながら、

土下座をして、何度も何度も額をこすり付けて謝罪した。

しばらく・・・沈黙が流れた。

「・・・もう・・・よい・・・」

その言葉に曹真は顔を上げた。

曹丕は目すら、顔すらも合わせようとはしない。

「もういい・・・出て行け――」

もう一度、曹丕は静かにつぶやいた。

曹真は軽く会釈をすると、退室していった。

曹丕は最後まで曹真と顔を合わせなかった・・・。


退室した曹真は再び涙を落とした。

自分の犯した罪深さと悔恨の思い。

そして。

【死】を与えてくれなかったという思いで溢れた。




つづく