忠義(後編)
城外が騒がしい。
曹丕は寝台から起き上がると、窓から外をのぞく。
軍の中に鎧で身を固め、馬上した曹真を見つけた。
――戦に行くのだったな――
曹丕は、思い出したようにつぶやいた。
昨夜はあまり眠れずにいた。
兄弟のように思っていた曹真に唇を重ねられた。
その行為よりも、彼が曹丕に対して、そういう感情を抱いていたことに、
曹丕はショックを受けていた。
曹丕も冗談が、過ぎた・・・。
冷静に思い返すと、そう思う。
心のどこかで、曹真に甘えていたのかもしれない。
彼の忠義を棚に上げて――
それでも、曹真の顔を見ると、怒りと不快感に襲われる。
――もう・・・戻ってくるな――
フッ≠ニ曹丕の中の何かがつぶやいた。
そんな自分すら、曹丕は嫌になった。
「曹丕さま・・・」
曹真の顔色はよくなかった。
それでも出陣しなければならない。
深いため息を一つ吐くと、曹真率いる軍隊は出発した。
目的地は涼州だった。
そこの豪族が徒党を組み、反乱を起こした。
それに便乗した燐州の豪族も加わった。
規模的には大きいが、涼州の豪族さえ、叩けば一網打尽である。
かなり行軍した隊は野営を張った。
辺りはそろそろ日が暮れるころだった。
「曹真将軍、顔色が優れませんが、少し横になっていた方がよろしいのでは?」
副将が気遣ってくれた。
曹真はお言葉に甘えて、副将に後を任せると、営舎にこもった。
曹真は横になると、再び、曹丕のことを考えた。
朝から、ずっと昨夜のことを後悔していた。
あのまま【忠義】として、何事もなければ、
こんな不安な気持ちにもならなかったはずだ。
痛いのは変わらないが、今よりはまだ、マシな心の痛みかもしれない。
「曹丕さま――」
誰もいない営舎の中で曹真はつぶやいた。
曹真が出陣してから、一週間が経った。
曹真軍と涼州軍がぶつかったという報告を耳にした。
それから、数時間後。
曹丕の元へ兵士が一つの書簡を持参してきた。
曹真からだという。
曹丕は書簡を受け取ると兵士を下げた。
書簡には曹丕さまへ≠ゥら始まり、この間の謝罪が記されていた。
「子丹・・・」
曹丕はその書簡を懐にしまい込むと、外へ飛び出した。
そして、腰に剣をはいただけで、馬に飛び乗った。
それを司馬懿がとめた。
「曹丕さま、何処へ行かれますか?」
「曹真のところだ」
曹丕はさらりと答えた。
今や戦闘中である。そんな危険なところへ鎧も着ずに行かす馬鹿はいない。
だが、曹丕は本気だった。
止めても無駄と司馬懿は悟った。
「私もお供します」
司馬懿はそういうと、手際よく、私兵の数人を選び、曹丕と共に馬を走らせた。
曹真軍と涼州軍の戦いは天と地ほどの差があった。
曹真軍はやはり統制が取れていた。
そして、動きもいい。
敵軍は逆に個々の能力はよかった。
だが、統制が取れてはいるものの、ぎこちなかった。
曹真は天を仰ぎ、
「曹丕さまは今頃、あの手紙を読んでいるのだろうか」
ふと、そう思った。
あの時の曹丕の顔を覚えている。
一生忘れられない表情。
初めて見せた冷めた顔。
驚愕よりも怒り。
曹丕さまは許してくれないだろう。
それだけのことをした。
それでも・・・生かされているのは・・・罰なのか・・・・。
「曹丕さま――」
曹真の両目から雫がこぼれた。
それから三日後。
「曹真将軍、曹丕様がこられました」
部下から、報告を受けた曹真は驚いた。
「曹丕さまが?」
驚きながら、曹真は出迎えしようと外へ出た。
その時、外から曹丕が入ってきた。
「邪魔をする。すまぬが二人っきりにしてくれないか?」
曹丕は中にいた兵士たちを外へと追い出した。
曹丕は軽量ながらも鎧を身にまとっていた。
「曹丕・・・さま・・・」
曹真は何故、彼がここに来たのか分からず、ただ曹丕の顔を見つめていた。
「元気そうだな、真・・・」
曹丕は表情を変えずに名で呼んだ。
「何故、このような場所に・・・?」
曹真は曹丕の意図がつかめなかった。
一体何の用なのか。
それほどまでに大切な用が自分にあるのだろうか。
考えれば考えるほど、分からなくなっていく。
「目覚めがわるい」
「?」
突然、曹丕が言葉を発した。曹真は困惑している。
「こんなものを送りつけて・・・」
曹丕は言いながら、懐から一つの書簡を取り出した。
まさしく、曹真が曹丕に当てた手紙だった。
「まるで遺書のようではないか。死ぬつもりだったのか?」
曹丕は曹真にその手紙を見せた。
「・・・・・・」
曹真は黙っていた。
確かに【死】んでもいいと思った。
【死罪】に値する行為をしたのだから――
「子丹、死ぬな。死んだら私は許さぬ」
曹丕は厳しい顔をしていた。
「曹丕さま・・・」
「お前の気持ちには答えられぬ。だがな・・・・」
曹丕は歩み寄ると曹真の耳に顔を近づけた。
――すまなかった――
曹丕は小さくつぶやいた。
曹真は、その言葉にドッと涙が溢れ、零れた。
――曹丕さまへ――
先日のご無礼をお許し下さい
曹真
その手紙は曹丕の手により、破り捨てられた。
いつか、二人を心から祝えるように・・・・。
おわり