覇業の先にあるもの






「本初・・・」

曹操は袁紹の本営にいた。姿は兵士のまま。

曹操が兵士になりすまして、袁紹に会うのは何度目になるのか。

二人は天下に覇業を成し遂げるという同じ夢を抱いていた。

お互いに覇者となるためには邪魔な存在でもあった。

だが、二人は顔なじみであり、親密な関係でもあった。

「ん、んん・・・」

曹操は袁紹を抱きしめると、唇を強引にかさねた。

「や、やめ・・・」

袁紹の拒みに曹操は耳を貸さなかった。

それが本当に拒んでいないことを曹操は知っていたから。

袁紹は雰囲気を大事にする方だった。

一方の曹操はどちらかというと逆だった。

抱きたいときに抱く。雰囲気は後からつくればいい。そんな考え方だった。

きつく袁紹を抱きしめ、さらに口を割って中へと忍び寄る。

強引とも激しいともいえる口づけがつづいた。

しだいに曹操の胸板にあった袁紹の両腕が背中へと回っていた。

曹操は袁紹の唇を開放すると、そのまま首筋を流れるように移動した。

「あ、、、」

袁紹の身体が小さく波打った。

曹操の唇が、舌が袁紹の身体のラインを静かに移動するたびに袁紹の身体がふるえた。

「あ、、、や、やめ、、、そう、、、そう、、、」

「ふっ、相変わらず、弱いな・・・本初」

曹操は袁紹の紅潮した顔をのぞきながら、そう言った。

袁紹は唇と首筋の愛撫によわい。

初めて袁紹を抱いたとき、その愛撫だけで彼は一人果てた。

そんな彼を見て、曹操はいつもと変わらずに執拗に攻めつづけた。

たとえ、袁紹が嫌がったとしても、曹操は彼を抱き続けた。


密会。

二人はこれから中原の覇権をめぐり、戦う。いわば、敵同士だった。

それでも、周りに気づかれることなく、密会を重ねてきた。

ただ、勘がいい曹操の参謀の荀ケは気づいているようすだった。

だが、彼は何もいわない。

曹操もそれに関しては何も聞かないし、言わなかった。

「もう・・・行くのか?」

情事を終え、しばらく二人は寝台で横になっていたが、ふいに曹操は立ち上がった。

袁紹はまだ、横になっている。

そして、曹操は何も答えずに着替え始めた。

袁紹の声は曹操の耳に届いている。ただ、返事をしない。

いつもと同じ光景だった。

「私は・・・お前を殺めたくない」

曹操と袁紹の軍は官渡に集結させていた。兵力、兵糧ともに袁紹が数段勝っている。

無論、袁紹自身も勝つ気でいる。

「わしは負けぬ。だから死なぬ」

鎧を着込みながら、曹操は静かにつぶやいた。

互いに負ける気はない。

かといって、どちらかに膝を屈することもしない。

負けることはすなわち、【死】ぬことなのだ。

袁紹は宦官が嫌いだった。必然的に曹操の家系も好きではなかった。

曹操も名門ということを鼻にかけていた袁紹が好きではなかった。

だが、長く付き合い過ぎた。

どこかに“惜しい”という気持ちがあった。

互いに自分に膝を屈してくれれば何の問題もない。

そう少なからず、互いに思っていた。

「袁紹・・・我が前に立つならば、わしはお前を殺せる・・・」

着替え終えた曹操が静かに口を開いた。

その表情はいつもの曹操の顔だった。

人を平伏させる威圧感と冷静さを兼ね備えた男の顔だった。

袁紹はゾクリと背筋が凍る思いがして、思わず、つばを飲み込んだ。

「そ・・・曹操・・・・」

かろうじて声に出たのはそれだけだった。

「本初、わしに屈せよ。そうですべてはうまくいく」

曹操は袁紹の耳元で静かにささやいた。

「わしを殺せぬであろう?」

曹操の息が袁紹の耳の奥にかかる。

袁紹はゾクリと再び、身体が震え、気分が高ぶるのを感じたが、気づかれないように抑え込んだ。

「お前が私に従えばよいっ!!」

抑え込んだ気の高ぶりを周囲に散らすように袁紹は声をはりあげた。

――天下は袁家が相応しいのだ――

そう心に思っただけで、口にはださなかった。

「・・・これ以上の会話は無駄だ。帰る」

曹操は振り向くこともなく本営をでていった。

袁紹はその後姿をずっと見えなくなるまで見送った。

「なぜ・・・わかってはくれんのだ」

袁紹はひとりつぶやいた。



「本初・・・」

本陣にもどった曹操は袁紹との戦を考えていた。

中途半端な思いが曹操にはあった。

それが苛立つほどに曹操には邪魔だった。

あのままだと、いつまで経っても決戦にはならない。

どこかで気持ちの切り替えをしなければならなかった。

「甘いのはわしも同じだったようだな・・・本初・・・」


曹操軍 壊滅――

そんな情報が袁紹の元に届いたとき、袁紹は落胆した。

彼も中途半端な気持ちで戦にのぞんでしまった。

持久戦だった。

いつか、曹操が自分に投降してくるのを待っていた。

いや、そう信じたかった。

相手の兵糧が尽きた頃、そのチャンスがあると考えた。

その時がやってきた。

曹操軍は兵糧がつき、撤退を開始した。

袁紹はその機を逃さなかった。

さらに追い詰めれば、曹操は下るであろう。

袁紹はいつまでもその考えを捨てきれずにいた。

袁紹みずから、退路を断った。

他の隊が曹操の背後をつく。

そして、戦場での対面を果たした。

そこにはいつもと変わらない曹操の姿があった。

「曹操、降伏してくれ、頼むっ!」

馬を進めながら、袁紹は願う。

もはや懇願に近い。

曹操の周りには数人の部下しかいない。

「相変わらず、だな・・・本初。降伏・・・など・・・」

曹操はクスッと笑みをこぼすと、自らの首に剣をあてがった。

「そ、曹操っ!!」

袁紹がとめる間もなく、彼の顔に赤い血しぶきがとんだ。

笑みを浮かべながら、曹操は馬からおち、それを袁紹が抱え起こした。

「孟徳、何故だ。私はただ・・・お前と天下を取りたかっただけなのにっ!!!」

袁紹から零れ落ちたしずくが曹操の頬をぬらした。


――覇者は二人はいらぬぞ・・・――

微かに曹操が笑った気が・・・した。

袁紹はまだぬくもりが残るその曹操の唇に自分のそれと重ねた。

風が二人を包むかのように吹いた。

次第に官渡は静けさを取り戻していった。