――龍――
ある日、夏侯惇は市場を歩いていた。
色々な品物があちこちに並んでいる。
それらを物色しながら、歩いていると、ふと、何かに目を奪われた。
視線を何かに釘付けされ、夏侯惇は足を止めた。
短刀――である。
派手な物から、シンプルな物まで、品揃いが豊富だったが、
その一つに目に止まったのだった。
純白の柄と鞘に金色の対の龍が装飾が施された短刀。
龍の目には赤黒い石。
護身用には丁度いいサイズ。
それでいて、派手な感じはなく、地味なイメージさえ与える。
――似合いそうだな――
夏侯惇は脳裏に想い人を浮かべながら、クスッと笑みをこぼした。
「元譲、少し付き合ってくれぬか?」
市場から戻った夏侯惇に曹操は待ちわびたように、突然、そう話を切り出した。
別に用はもう、ない。しかし、昼をとうに過ぎている。
時間的に遠出ならば、止めようと思っていたのだが、
夏侯惇の返事も制止も聞かず、
曹操は馬にまたがって、勢いよく“はぁっ!”と言うと、馬を走らせてしまった。
夏侯惇は半ば、呆れるように馬に乗り、曹操の後を追って行った。
『・・・まったく、怒られるのは俺なんだぞ・・・』
馬を疾走させて、数時間。辺りは闇に染まる寸前だった。
「孟徳、何処へ行くんだ?ずい分と遠くへきたぞ。それに・・・」
並ぶように走る馬上で夏侯惇は除々に心配になっていく。
辺りが暗くなれば、息を潜めていた曹操を狙う刺客も躍り出る。
闇は絶好の機会である。
さらに、遠出となれば、なおさら・・・。今は曹操と二人だけなのだ。
まぁ、曹操のその性格は今に始まったことではないが、
付き合うほうの身になって欲しいと夏侯惇は毎度のように思う。
半ば、強制的に振り回されているが、夏侯惇は本音としては楽しい。
曹操と二人で何処かへ行く。それだけでも嬉しいが、
自分を信頼していると、いう思いが肌で感じられる。
「元譲、着いたぞ」
ふと、曹操は馬を止める。馬は歩みを止めるとヒヒヒィィィィ〜と体を震わせた。
二人は丘の上っぽい場所に立っている。
「見よ、元譲。綺麗であろう?」
そう言われて、夏侯惇は曹操の視線の先に目を向ける。
広大な風景・・・大地がそこに映し出され、
夕焼けの赤とオレンジの色彩が、その大地をさらに綺麗に染めていた。
「おぉ・・・見事だ・・・」
夏侯惇は思わず、その美しさに感嘆の声を上げる。
「そうであろう?一度、元譲に見せたかったのだ」
曹操は夏侯惇の方を振り向くと、心なしか笑みを浮かべた。
「わしはな・・・元譲。この風景を・・・この壮大な大地を手に入れたいのだ。
お前とどこまでも走り続けていたいのだ・・・」
――元譲・・・ついて来てくれるな・・・?――
その最後の言葉を言いかけた曹操の口を夏侯惇は遮った。
「孟徳・・・今さら、返事を聞かんでもわかっているだろう?」
すでに夏侯惇の心は決まっている。
あの日、曹操が兵を挙げた日からずっと・・・彼の元を離れまいと誓った・・・・。
その心に偽りも迷いもない。
「それも・・・そうだな・・・」
そのあと、二人は互いに顔を見合わせると何が可笑しかったのか、笑い始めた。
近くの大木に揃って腰をかけると、
夏侯惇は、思い出したように懐から何かを取り出す。
それは市場で購入した短刀であった。
「孟徳・・・やる」
夏侯惇はぶっきら棒に短刀を曹操の前に突き出した。
曹操はそれを見つめると、何だこれは?と言った。
「短刀だ。見れば分かるだろう、護身用にはなる」
曹操はとりあえず、それを受け取ると、鞘から刀身を抜く。
抜きながら、マジマジとその短刀を見つめる。
「う・・・む・・・確かに・・・いい代物だな・・・」
夕闇に刃が反射し、鋭い光を放つ。よく切れそうな短刀だった。
そんな曹操を見ていた、夏侯惇は隣で口元を緩めていた。
――やっぱり・・・孟徳には龍が似合うな・・・――
改めて、そんなことを夏侯惇はふと、思った。
威厳に満ち、信念を貫こうとする意思の強さ。
それでいて、上に立つ者の孤独さ・・・。
曹操のそれらが、何故か崇拝的生物である龍と重ねてしまう。
夏侯惇は知っていた。
彼が孤独なことを・・・。
本当は心が脆いということも・・・。
――孟徳・・・俺は・・・最後の一人になっても・・・――
サワサワ
「元譲、戻るか・・・」
「あぁ」
闇が静かに二人を包み始める。
風が二人の間をすり抜ける。
――最後の一人になっても・・・俺は側にいる・・・お前のそばから・・・離れない――
曹操は身近に夏侯惇の存在を感じながら、その想いを嬉しく感じていた。
彼と一緒ならば・・・怖いものなど・・・ない――
その瞳に新たなる決意を宿し、二人はその場所を後にした。
――怖いものなど・・・あるわけがない。あるとすれば・・・隣に・・・元譲がいなくなることだけ――
おわり
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