始まりと終わり  
   



『――っ!お止めくださいっ!』

それは・・・悪夢だった。いや、醒めることができない悪夢だった――。

『お・・・お止めくださいっ!!』

必死に腕から、手から、身体から逃れようと抵抗もした・・・。

酔った身体は思うように動かなかった。

『止め・・・あぁ・・・』

激しい情事・・・手足は拘束され、欲望のみがむき出しになった獣が対象の身体を蝕んでいく。

嫌がる彼は心は砕かれ、そこにはなく・・・曇りのかかった双眸と抜け殻だけが

その場に放置されていた。


曹操はふと、目を覚ました。

朝日がまぶしい。

隣にいたはずの者がいない。

曹操は唇をかみしめると、昨夜のことを思い出した。

「・・・・・・・・・・・」

天井に目をむけると、消えようがない罪の意識に悩まされる。

昨夜はなぜか司馬懿と酒をのんだ。深い意味はなかった。

どうして彼を誘ったのか、自分でも不思議だった。

二人で策について語る。こういう話は根っからの武将である夏侯惇とはできない。

やはり、荀ケや荀攸たち、文官や軍師のほうがいい。

しばらく、飲んでいると今は亡き郭嘉の話をした。

曹操がその才に期待したしたにも関わらず、早死にした男。

司馬懿と郭嘉を競わせたら面白かっただろう。

どこかで二人を重ねていたのか。

全然容姿も性格も違うのに、何故あんなことをしてしまったのだろう。

酔いもあった。気がつくと、嫌がる司馬懿をその身に抱いていた・・・。

「・・・奴は奉孝ではないのに・・・・」

司馬懿の抜け殻になった、あの時の表情が曹操の脳裏に浮かんでは離れなかった。



気持ちのいい青空が広がる午後。

司馬懿の館に曹操の子、曹丕の姿があった。

手にはなにやら、お見舞いの品をぶらさげている。

「なに?仲達には会えぬと・・・?」

「はい・・・誰にも会いたくないと・・・」

曹丕は下男や下女に断られていたが、ここまできて会わない訳にはいかない。

もう数日もあってないのだ。

「私・・・でもか?」

「誰も上がらせるなと・・・申されましたので・・・」

しつこく食らいつく曹丕に対して、下男と下女は困り果てていた。

いくら主人の命令であろうと相手は曹丕なのだ。

ついには曹丕はしびれを切らして、あがりこんでしまった。

当然、引き止めた二人だったが、こうなると収拾がつかなかった。

結局、曹丕は司馬懿の部屋まであがりこんでしまった。

「曹丕様っ!!」

突然の訪問に司馬懿はびっくりして戸惑っていたが、元気そうだった。

「見舞いに来たぞ、仲達」

曹丕は笑顔でそういった。

そして、持参してきた見舞いの品をそばにいた下女と下男に渡した。

二人はそれを抱えて、その場を出て行った。

「・・・申し訳ございません、曹丕様。お引取り願いませんか?」

司馬懿は一瞬だけ笑顔を浮かべたが、すぐに表情が暗くなった。

曹丕が知る表情ではなかった。

「仲達・・・?」

「今は・・・一人になりたいのです」

司馬懿の肩はかすかに震えている。表情も暗く、重い・・・。

曹丕は何かを感じ取り、司馬懿に近づいた。

「仲達、何かあったのか・・・?」

少し痩せたであろう身体。震える肩に静かに触れた。

「―――っ!!」

その途端に司馬懿の身体と表情がこわばり、肩に触れた曹丕の手を振り払った。

その様子に曹丕はただならぬものを感じた。

「仲達っ!何があったっ!!」

双肩をつかみ、司馬懿に問い詰めた曹丕だったが、司馬懿は顔面蒼白になりつつ、何も語ろうとしなかった。

「子桓様・・・どうか・・・今日のところは・・・・」

司馬懿は小さく肩を震わせ、頭を深く下げた。

曹丕は仕方なく、館を後にした。


それから毎日、曹丕は司馬懿の館を訪れた。

相変わらず、司馬懿は何もいわなかったが、以前よりは元気になった。

曹丕はそれがうれしかった。今はそれでいいと思った。

「仲達、元気になってよかった」

「子桓さまこそ・・・こんな私めのために・・・毎日・・・・」

司馬懿の言葉を曹丕はさえぎった。自分は苦ではない。

むしろ、司馬懿に会えるだけでいいのだ。そう思う。

そんな司馬懿のささやかな気遣いも曹丕にはうれしかった。

「仲達・・・」

曹丕は軽く司馬懿を抱きしめた。

やはり司馬懿の身体はビクッと震え、表情と共にこわばった。

「・・・・子桓・・・様・・・・」

司馬懿が申し訳なさそうに曹丕をみつめていた。

曹丕は身体の奥底からわき上がる欲望を抑え込むと、司馬懿の身体をはなした。

「仲達、今日はもう帰るぞ・・・」

曹丕が立ち上がった瞬間、司馬懿の手が曹丕の腕をつかんだ。

そんなことは初めてだった。

「曹丕さま・・・お話が・・・ございます――」

真剣なまなざしで見つめる司馬懿。

何かを決意した瞳。

曹丕はその表情に圧倒され、再び座ることになった。

「仲達、父上に抱かれたことなら・・・知っているぞ・・・」

「――っ!」

司馬懿の目が開かれ、驚きでいっぱいになる。

曹丕は司馬懿の身体を引き寄せると静かに抱きしめた。

「最初に見舞いにきたとき、様子がおかしいと思った。だから、調べてみた・・・」

「し・・・子桓さま・・・」

あたりはすでに闇に包まれ、煌々とした月が浮かんでいた。

「すまなかった。助けることもできずに・・・お前一人を苦しめてしまった・・・」

「・・・子桓・・・さま・・・」

曹丕はさらに強く抱きしめ、司馬懿もそのぬくもりを忘れないように曹丕の背中に腕を回した。

「仲達・・・父上のことなど・・・忘れさせてやるぞ」

曹丕は抱きしめながら、優しく唇を重ねた。

彼の身体に刻まれた父上の烙印。

それらすべてを取り除くように、曹丕は司馬懿の身体に唇を落とした。

いつもよりも優しく、それでいて力強さを感じる愛撫に司馬懿は心地よさを感じていた。

「仲達・・・もう離すまいぞ・・・」

――子桓さま・・・私めは・・・幸せでございます――

司馬懿は曹丕に身をゆだねると、そう思った。いつしか、恐怖はなくなっていた。




「仲達・・・」

明け方、曹丕は目をさました。

腕の中で眠る司馬懿は安らかな寝顔をしていた。

曹丕は身なりを整えると、まだ目を覚まさない司馬懿の唇にそっと、己がそれを重ね、館を後にした。



それから数日後。

曹操が原因不明の病を発したという知らせが曹丕と司馬懿の元に届いた・・・。



おわり