想い人






「ふぅ〜」

姜維はため息を吐きながら、長時間机に向かって硬くなった身体を

ほぐす様に背伸びをした。

ポキポキと音が響く。

丞相が亡くなってから、早数ヶ月。

姜維は未だにそばに諸葛亮がいるように思えて仕方がなかった。

「丞相・・・・」

部屋の端にかけてある、丞相から頂いた、羽織。

それを見るたびに、姜維は諸葛亮のことを思い出し、涙を流していた。


劉備――先主が逝き、丞相まで逝った。

姜維はこれまで、この蜀を盛り立てようと、必死に頑張ってきた。

三国の均衡が保たれ、一応の戦から開放された蜀だった。

そのため、国だけ見れば、平和だったに違いない。

見せかけの平和・・・姜維はそう思っていた。

「北伐?」

姜維は何度目かになる北伐を主君である劉禅に提案した。

しかし、費イを始めとする、戦には消極的な諸侯は反対した。

今の平和に慣れ始めていた。

時代が先主がいた時代とは変わってきた。

姜維も感じている。時代の流れ。三国の均衡。

それでも北伐をやめないのは、、、自分が戦ってきたという証が欲しかった。

丞相と共に、戦った日々。

今でも共に在りつづけたいという想いが姜維を北伐を止めさせなかった。

一時、激しく反論したことがあった。反対派と。

劉禅に仕えている大半は姜維のあまり知らない人。

共に戦った人はポツリポツリと消えていった。

姜維だけが取り残されていた。

「分かった。北伐を許そう」

劉禅は嫌な顔せずにすんなりと言った。

姜維は笑顔でお礼を言い、その場を立ち去った。

「殿、いっそのこと、彼をそのままとどめてはいかがですか?」

諸侯の一人が言った。劉禅はその案に軽く頷いた。



姜維は館で身支度を整える。

羽織を見ては、想いを遠くへ飛ばす。

――明日はこれを着ていこうか――

戦にでる格好ではない。羽織など。ただ・・・諸葛亮から貰った大切なもの。

一度、袖を通せば、諸葛亮の温もりを感じる。

そんな気がするだけ。

――押し潰されそうだ――

いつも感じる圧力。古い時代を生きた自分の居場所はない。

このまま、いっそ、どこか遠くへ消えてしまいそうになる。

どんなに楽になれるのか・・・。

兵士もあまり乗り気ではない。士気も低い。

それでも、孤独でも姜維は北伐をやめることはできなかった。

袖を通してみた。

やはり、諸葛亮の匂いを感じた。

――丞相――

姜維の両目から涙がこぼれた。



次の日。

姜維は軍を率いて、行軍した。

その身には例の羽織を着ていた。

視線が痛かったが、気にはならなかった。

「・・・これで何度目の北伐だろうか。今度こそ・・・」

――丞相の意思を・・・叶えてやりたい――

姜維は北伐をするたびに、そう思った。

北伐をするのは諸葛亮の意思を受け継いだから・・・。

何よりも北伐することで、諸葛亮を身近に感じていたかったから・・・。

北伐という戦の形にしか、姜維は師である諸葛亮とのつながりを

強く感じることが出来なかった。

あの日から、自分は丞相と共にあった。

運命の出会い・・・逢うべくしてあったと今ならそう、感じる。


――丞相・・・見ていてください――


姜維は蒼い空を見つめながら、兵を進めた。


一日の行軍を終え、野営を張った。

羽織を着たまま、寝台に横になると、姜維は天井を見つめていた。




真っ白な空間。

気がつくと姜維はそこにいた。

羽が上から、降り注ぐ。大量の白い羽が・・・。

真っ白な空間が羽で埋め尽くされる。そう、思った。

その一枚を手のひらで受け止めて見る。

スゥーと消えるように、それは消えていく。

――姜維――

どこからか、懐かしい声が聞こえた。

小さく・・・そして、細い声だった。

姜維は思わず、目を見開いた。

――姜維――

再び、聞こえる声。見間違いではない。

後ろを振り向くと、そこには懐かしい人影があった。

「・・・・丞相――」

その姿を見た瞬間、涙があふれた。気がつくと、走り出していた。

――丞相っ――

走っても走っても、諸葛亮のそばにはたどり着けなかった。

それでも、諸葛亮はいつもと変わらない優しい微笑を姜維に向けてくれていた。

――姜維――

姜維は段々遠くなっていく諸葛亮を追いかけながら、手を掴もうとした。

「丞相ぉぉぉーーー!!」




目覚めると、寝台の上だった。

「夢・・・」

額から汗が噴出している。羽織も乱れ、しわになっている。

「・・・泣いたのか・・・」

頬を何かが伝わる感触が残っている。

きっと、また泣いてしまう。

姜維は自分を静かに抱きしめた。

ふと、姜維は手の中に違和感を感じた。

羽だった。

白い羽が一枚、しっかりと握られていた。

姜維は再び、涙を落とした。




おわる