悪来      








「殿〜ご無事ですかっ!!」

宛城――城内。

投降した張繍に招かれて、城内に入った曹操たちだったが、

張繍の叔父である張済の妻、鄒氏を曹操が抱いたことで、

張繍の怒りを買ってしまった。

目を覚ました、曹操は唖然とした。

城内が火に飲まれ、張繍軍に取り囲まれていた。

「うぬぬぬ、おのれ、張繍・・・」

逃げる曹操の前に典韋が立ちはだかる。

「殿、ここはお任せを」

典韋門の前で典韋は仁王立ちし、曹操に逃げるように促した。

曹操のそばには許チョがいる。

その他に、曹操の息子の曹昂や甥の曹安民がいる。

「典・・・っ!!」

曹操が典韋の名を言いかけた、その時。許チョに口をふさがれ、

そのまま、その場から引きづられる様に典韋門を潜り抜けた。

「許チョ、わりぃな。後は頼むぜ」

同じ曹操を守る、護衛役である典韋と許チョは仲がよかった。

暇さえあれば、酒を飲み交わしていたりと、交流があった。

城内の火はさらに勢いを増し、天井からプスプスと恐ろしい音が響く。

「許チョ、離せ」

曹操は典韋門が見えなくなった辺りで、許チョに静かにいった。

許チョは曹操を放すと一言、無礼をわびた。

「・・・典韋・・・」

曹操は典韋門の彼方――典韋がいる場所に思いを飛ばした。

許チョには分かっているのか。

助かる見込み・・・いや、曹操が生き延びなければ意味がない。

典韋の想いを無駄にしない為に、

曹操は崩れ落ちていく城内を出口に向かって走り出した。

「曹操を逃がすなっ!!」

張繍軍が押し始める。それに比べ、曹操軍は不意をつかれたのもあって、

命令系統は機能していない。

逃げ惑うか、捕まるか、その場で果てるか、のいずれかだった。

士気が上がる張繍軍、反対に士気が下がる曹操軍。

もはや、勝負は目に見えていた。

張繍はそう、感じた。

「他愛無いものだな」

次々に入る、報告を受けながら、張繍はそう、つぶやいた。

隣には立つ、参謀のカクがじっと静かに、崩れ落ちる城を眺めていた。



「わしがいる限り、殿には指一本、触れさせんっ!!」

典韋は豪快に武器を振り、敵兵を切り伏せていた。

返り血をその身に浴び、自分さえも怪我をしながらも、典韋の顔は

深い笑みを浮かべていた。

――殿――

典韋の脳裏には曹操と許チョといた日々が浮かぶ。

ただ、暴れるだけの力しかない、自分を夏侯惇将軍は曹操に

引き合わせてくれた。

曹操もまた、自分を高く評価してくれた。それに答えるために

日々、殿を守ってきた。

守ること――それは自分が生きている証。

戦が終わった後に、優しく声をかけてくれるのが、とてもうれしくて。

自分のことを心配してくれていることも、とてもうれしくて・・・。

この人のために・・・この命、惜しくない――

そう思った。

いい友にも恵まれた。許チョという、いい奴に・・・。

彼なら、殿を任せても平気だ、と思った。

「殿の命、この悪来典韋がいる限り、簡単には取らせんっ!」

典韋は戦斧を構え、咆哮した。



「典韋っ!!」

出入り口付近。曹操は立ち止まった。背後からは張繍軍が迫っている。

それでも、曹操は燃え落ちる城内を眺めながら、

典韋がいる方向を見つめた。

――戻って来い・・・・悪来――

それは願いだった・・・。



「放てっ!!!」

典韋に向かって、無数の矢の雨が降り注いだ。

しびれを切らした、張繍軍は典韋一人に対して、集中攻撃に出た。

門さえ、開けば。

張繍はそれだけを思っていた。

曹操は袋の鼠。曹操軍はもう壊滅的。目の前に勝利が見えた。

だが、典韋という男が、進軍を妨げている。

たかが、一人と、甘く見ていた。かなりの時間を取った。

典韋の体に無数の矢が突き刺さる。

痛いはず。苦しいはず。立っているのがやっとなはず。

「何故、倒れない?」

張繍は典韋の姿に恐怖すら感じた。

典韋の身体はボロボロだった。足元には血が溜まっている。

形相は鬼のようだった。鬼神のようにただ、敵兵を切り伏せていた。

「は・・・放てっ!!」

張繍はさらに号令を出す。その内からこみ上げる恐怖を抑えながら・・・。

矢がさらに増え、典韋の身体に吸い込まれていく。

「へ・・・へへ・・・やるじゃねーか・・・・」

典韋はつぶやくと、笑みを浮かべた。

――殿・・・・どうか・・・ご無事で・・・――

ゴガァァァァ

すごい爆音と火の粉があたりを包んだ。

典韋がいた天井が崩れ落ちた。

辺りの兵士はすべて巻き添いを食らったが、

張繍は運良く逃げ延びていた。




宛城を出た曹操は、外で待機していた夏侯惇部隊と合流し、

生きながらえた。

城が崩れる様を見つめながら、曹操は静かに涙を落とした。

許チョはその隣で同じように原型がなくなっていく城を眺めていた。

――許チョ・・・後は・・・頼んだぞ――

風に乗って、典韋の声が許チョには聞こえた気がした。






おわり