強き人






時々、思う。

もしも、あの時・・・違う選択をしたのであったら・・・と。

今頃も、違う結果になっていたのであろうと。





自分の気持ちに気づいたのは、かの者と完全に袂をわけた後だった。

今更、戻れるわけもなく、

ただ、ひたすらに、その気持ちを抑えることだけの日々が続いた。

考えるだけで、会いたくなる衝動。

触れて欲しい。

耳元で名をささやいて欲しい。

その温もりを感じたい。

想いだけがつのり、距離だけが遠くなっていく。


「殿、眠れないのですか・・・?」

そんな君主を心配した諸葛亮が部屋を訪れる。

満月がはっきりと見える小窓から、劉備は意識を放した。

「孔明か。原因はわかっているだろうに、そんな心配な顔をするな」

諸葛亮だけが知っている劉備の想いと胸の内。

君主の異変に気づいた諸葛亮に劉備はすべて、吐き出した。

義兄弟に知られるわけにはいかない。

劉備の想い人は敵である曹操なのだから。

怒り狂って、単身乗り込むことさえしかねない。

あの二人なら、ありえる。

だから、義兄弟であってもいえない。

「殿がその調子では私は心配で仕事も手につきません。酷なようですが・・・」

「わかっている・・・。だから、お前は私を抱いてくれるのであろう?孔明」

今宵も満月。

この高ぶる身体を鎮めてくれる、この軍師の首に劉備は両腕を絡めた。

軍師の想いを知った上での、酷な願い。

利害関係が一致した、務めのような関係が、あの時から始まった。

「殿、貴方はこの蜀には欠かせないお方。例え、貴方が曹操を想っていても

貴方をかの者には差し上げることはできませんから・・・」

諸葛亮は劉備の背中を抱きしめると、やさしく、くちづけをした。

まだ、夜は深い。

満月だけが、すべてを悟っているかのように・・・淡い光を輝かせていた。




同じ満月を曹操も眺めていた。

満月の夜は異常なほどの身体の高ぶりを感じる。

古来より満月は神秘的な力があるとされる。

曹操はそんな満月を見つめながら、つぶやいた。

「劉備・・・」

愛しい名を・・・。

この手で腕をつかみ、その肢体を力任せにねじ伏せたくて。

その声で、自分の名を呼んで欲しくて・・・。

呂布討伐後、しばらくは滞在していた劉備を、何故か無理やり自分の物にはできずに、

ただ。

抱きしめて、くちづけをしただけだった。

それも一回きりのことで、それ以上は何故か、曹操はできずにいた。

「らしくない・・・な」

劉備と別れたあと、もう、会うこともないと直感的に感じた。

この男とは一緒になれない。

そんな確信的な思いが心の隅にでもあったのかもしれない。

曹操は苦笑いをこぼしながら、寝台に腰をおろした。

眠れない夜。

本当に女々しいくらいにあの男を好きで仕方がない。

今まで、数知れない女を抱いたというのに、たかが、一人の・・・。

自分が英雄だと認めた男に惚れたあげく、この様とは、情けないといわれるだろう。

それでも・・・。

「あの男もこの月をみているのであろうか・・・」

曹操は満月を再び、両目に移すと静かに瞳を閉じた。





それから、数週間が経ったある日。

劉備は諸葛亮を部屋に呼んだ。

「殿、お話とは・・・?」

劉備は小窓から見える、青い空を眺めながら、声を開いた。

「お前は怒ると思うが、今日、曹操と会う約束をしている」

その言葉に諸葛亮は一瞬だけ、顔色を変えた。

「殿、それは、なりませんっ!!!」

「心配するな。ただ、会って、本当にかの者と別れをするだけだ・・・」

劉備は振り向き、微笑んだ。

「ですが・・・」

それでも、諸葛亮は納得がいかなかった。

「だから、お前もついてきて欲しい。お前だから・・・着いてきて欲しいのだ・・・」

まっすぐな瞳。

もう、決めてしまった決意が込められた両目。

諸葛亮はもう、何もいうことができなかった。

「わかりました。ともに、参りましょう」

劉備はその言葉を聞くと、すまない。と一言、つぶやくようにいった。





曹操は夏侯惇を連れて、劉備と落ち合う場所にいた。

「すまないな、元譲。つき合わせてしまって・・・」

申し訳ないように曹操は隣に立つ、夏侯惇に言う。

「お前が納得するなら、とことんやればいい。俺はそれに付き従うだけだ・・・」

そんな話をしているうちに、遠くの方から、劉備と諸葛亮がやってきた。

「・・・劉備・・・」

まぶたを閉じれば、浮かび上がる顔。

その実物が、目の前にいる。

もう、会うこともないと思っていただけに、曹操は身体の高ぶりを感じていた。

「曹操・・・」

劉備もまた、身体の高ぶりを感じ、その腕の中に埋もれたい衝動に駆られていた。

「殿、私と夏侯惇殿は向こうに行っておりますので・・・」

諸葛亮が切り出し、その場から二人は立ち去っていった。

「会いたかった・・・」

曹操は言葉が切れる前に劉備を抱きしめ、その腕の中に埋めた。

ギュッともう、離さないように強く、抱きしめる。

劉備もそれに答えるように、曹操の背中を強く抱きしめた。

そして、二人はむさぼる様に、口づけを交わし、身体を重ねた。



「殿、私は正直、あのまま、殿が戻らないのではないかと思っていました」

帰り道、月のかわりに太陽が天高い場所に輝きながら、諸葛亮は静かに口を開いた。

「私のいるべき場所は曹操の腕の中ではない。お前や兄弟たちのもとなのだ・・・」

劉備は地平の彼方を見つめた。

そう、決心した。

いや、すでに決めていたことだった。


――・・・私は貴方と戦う。私の下に集った仲間とともに、貴方と戦う・・・――


この身体に刻まれた、曹操とのつながりを胸に抱き、貴方を越えるために。

貴方とは違う、国を築くために、私は・・・愛しい貴方を――


「孔明、これからもよろしく頼む」

劉備は静かに諸葛亮に微笑みかけた。

諸葛亮ははい。と返事をして、うなずいた。


今宵からは、よく眠れそうだ。

劉備は蒼い空を見つめながら、そう思った。







おわり