舞い降りた天使
そのテニスに奪われたのは・・・一瞬。
その強さに惹かれたのも・・・一瞬。
そして・・・その姿に魅了されたのも・・・・一瞬の出来事だった。
全国テニス大会。小学生の部。
準決勝へと上り詰めた乾貞治と柳蓮ニのダブルス。
その二人はのちのダブルスを担うといわれるほどの選手だった。
「どこへ行くんだ?」
乾が立ち上がる柳に声をかけた。
「少し準決勝まで時間がある。シングルスを見てくるよ」
柳はそう言い、乾を置いて敷地内を歩いた。
シングルスも準決勝の試合をしている頃。
これを機にシングルスも見てみようと思い立った。
いずれは自分もシングルスになるかもしれない。
後のための勉強といった、その程度のものだった。
人がざわめく中、柳は一つのコートに目を引いた。
シングルスの試合中。
しかも思ったとおり準決勝だった。
不意に、足を止める。
コート内にストロークの音がこだまする。
その音が何ともいいリズムを刻んでいた。
「あ・・・」
柳はその試合を見ると、その瞬間に眼を奪われた。
とても小学生とも思えない、体躯を持ち、力強い、そのボールさばきに柳は虜になった。
試合の状況を記したボードに目を落とす。
【3-0】
優勢な試合展開。まだ、本気の出していない余裕さ。
名を【真田弦一郎】と記入されていた。
「真田・・・・弦一郎・・・」
柳はそのプレイに魅了されつつ、その名を胸に刻むように繰り返し、つぶやいていた。
「ゲームセット。ウォンバイ、真田」
拍手喝采が上がる。柳の瞳はすでに真田弦一郎本人の姿しか映さなくなっていた。
【真田弦一郎】の名は【跡部景吾】【手塚国光】などと同様にそのテニス界の若き存在として注目されていた。
柳も乾もその名は噂として聞いていた。
同じ学年ですごいなとおもいつつ、いつしかそんなプレイヤーになりたいという憧れも芽生えつつあった。
この日もその憧れの同学年に出会えたことに柳はそれだけで心が躍っていた。
真田がバッグを背負い、コートから出てくる。
その時も柳は彼の姿を追い続けていた。何故か目が離せなくなっていた。
一目ぼれした感覚が体中を駆け巡る。
「真田くん」
柳は気がつくとその名を呼んでいた。
真田は何も言わずに足を止め、声の方向に顔を向けた。その間、柳は真田の側に寄っていった。
「いい試合だった・・・」
「そうか」
二人はそれ以上の会話もなく、そのまま違う方向に歩き始めた。
「これより、タブルス、準決勝を行います」
柳はギリギリに戻ってきた。
「やけにギリギリだったね」
「真田弦一郎に会ったよ」
柳は少し嬉しそうに話した。二人はコートに入りながら、そんな会話をしていた。
「やはり決勝を決めたのか?」
「あぁ。圧勝だった」
柳は今も鮮明に残る、その試合を思い返しては笑みをこぼす。
最後にはお前にも見せたかった。と言った。
乾はそんな嬉しそうに話す柳を見てつられて笑みをこぼした。
「ゲームセット」
蒼い空にこだまする審判の声。
決勝行きを獲得した柳と乾。
歓声が入り混じるコート内で、柳はふと、周りに目を見張った。
「真田・・・くん・・・?」
バッグを持ち、じっとこちらを見ていた真田がいた。
柳はそのまま、真田の元へと駆け寄った。
そうしないと、そのまま、いなくなるような気がしたから。
この機会を逃せば、もう会えない気がしたから。
「試合見てくれてたんだ・・・」
「たまたま通りかかったら、お前が試合をしていた。それだけだ」
真田はあまり顔色を変えずに淡々と話した。それだけでも柳は嬉しかった。
「俺の見たところ・・・二人はシングルスに向いていると思ったが・・・」
真田はそう言った。柳は一瞬、驚いた。事実、柳もそう感じていたから。
「・・・俺もそう思っていたが・・・もしシングルスになったら・・・お前と勝負したいとも思っている・・・」
「奇遇だな・・・俺もそう思っている・・・」
真田の問いに柳は笑みを浮かべた。
「俺は真田弦一郎。来年は神奈川の立海大学附属中に入る。もし縁があれば、待っている」
「・・・立海か。そうだな、縁があれば、また会えるだろう。
そのときまでに名を忘れては困るが・・・俺は蓮ニ、柳蓮ニだ・・・いい付き合いになるといいな・・・」
「あぁ。そうだな。お互い決勝頑張ろう」
柳はうなずき、真田はその場を去った。その後ろ姿を柳は見送りながら、来年のことを考えていた。
――
立海大学附属中学校――
テニスにおいて、関東大会連続優勝校で、常に王者として名を馳せている学校である。
柳はとんでもなく有名な学校に思いを描きながら、
真田と試合をしたいという欲求がさらに大きく広がるのを感じていた。
空は広く高くどこまでもその身を蒼さで彩っていた。
「どうしたんだ、蓮ニ?」
放課後の練習中に隣にいる真田は柳にそっと、声をかけた。
ところどころに耳に響く、ストロークの音をバックに柳は現実に戻された意識を拾い集めた。
「いや、少しお前と会ったときのことを思い出していた」
かつて、初めてあった時の面影を少し残す、その柳の表情に真田もまた、鮮明に思い出した。
「本当に縁だったな」
あの大会の後、親の都合で引越しをした柳だったが、
なんと電車で通える位置に立海大学附属中学があった。
もちろん、柳は迷うことなく、立海に入学した。
そして、運命の再会を果たすことになった。
「そうだな。でも引越しがなくても迷わず、ここに来ていたと思うが・・・」
「お前ならやりかねん・・・そんな勢いを感じた」
柳はそんな真田の言葉にフフと笑うとラケットを手にする。
「お前と会えてよかったと思う。今では手のかかる後輩もいるがな」
二人は後輩である【切原赤也】に視線を向けた。
仁王とシングルスをしている赤也は悔しそうにしながらも、楽しそうだった。
「蓮ニ、久しぶりに試合しないか?」
「いいな。今度こそ、勝たせてもらう。弦一郎」
二人は空いているコートに並んで足を運んでいった。
そして、コート内に白熱した試合展開と終わらないようなラリーが続いた。
――やはり来たのか。柳――――
――お前に・・・会いたかったからな。
――
柳と真田が入学早々にテニス部に入部届けを出し、そして出会った最初の言葉がそれだった。
お互い心の何処かで絶対に会えるという直感とも言うべきものが二人を支配していた。
それもあって、嬉しくもあったが、あまり驚きはしなかったのも事実だった。
「これで流れを変える!」
真田の一撃がコート内を抜けていく。ドッと歓声が上がる。
いつからいるのか分からない野次が興奮していた。
「相変わらず、隙がないな、弦一郎。だが!」
これでもか、という風に柳も相手のコート内に決めた。
俺も・・・お前にもう一度会いたいと思った――
それは入学早々に交わした言葉以外での真田の想いだった。
「流石っスね。先輩たちは・・・」
隣のコートで練習を終えた赤也はそのまま柳と真田の試合を見てつぶやいた。
いつか、越える存在。尊敬する存在として・・・・。
「ゲームセット!」
その掛け声とともに、柳は笑みをこぼして、空を見上げた。
蒼い空に引き込まれそうになるその青さに柳は静かに瞳を開いた。
想いはこの蒼い空とともに過去から未来へと馳せる。
『・・・この想いは未来永劫・・・消えはしないだろう』
「蓮ニ・・・腕をあげたな・・・」
柳の側に寄ってきた真田は珍しく微かに笑みをこぼしていた。
空を見ている柳に真田も一緒に空を見上げた。
日の日差しが真田の顔を眩しく照らした。
『あの時もこんな蒼い空だった・・・』
真田はふと、そう思い出し、隣に立つ柳の顔を見た。
一瞬、真田の目には柳の背に白い翼が生えているように見えた。
『俺は・・・どうかしているらしい・・・』
柳に対する想いに再び、真田は軽く苦笑をした。
「弦一郎、何を笑っているんだ?」
「いや・・・お前には白い羽が合うなと思った・・・」
「・・・フッ・・・ならば、お前は天使に恋をした男というべきか?」
その柳の言葉に真田は一瞬言葉に詰まった。
「では、お前は差し詰め、人間に恋をした堕天使といったところか。蓮ニ」
二人がそんな会話を続けているうちに。
「先輩!」
嬉しそうに後輩の赤也が走ってきた。
「すごかったッスね。先輩、俺と試合しません?副部長でもいいですから・・・試合しましょう?」
赤也は無邪気な顔で二人におねだりしていた。
「どうする。弦一郎?」
「・・・赤也・・・仁王との試合はどうだったんだ?」
柔らかい柳の表情に対して、真田は硬い表情でそう言った。
赤也はニコッと笑みをこぼして、負けたッスよ。と一言いった。
「・・・柳生」
真田に呼ばれて、柳生がやってきた。
「俺と柳生と蓮ニと赤也。ダブルスの試合をやる」
その真田の一言で赤也は喜び、柳は笑みを浮かべたのは言うまでもなかった。
日の日差しは優しく照らし出していた。
おわり