Cross 1






「…忍足…」

跡部は隣で歩く同級生の名をつぶやいた。

隣と言っても、跡部が少し遅れて歩いていた。

忍足はそのまま、何も言わずに足を進めている。

わずかでも聞こえているはずなのに、振り向きもせず、立ち止まりもせずに…

ただ…跡部に背を向けていた。

無視されたのにも関わらず、跡部は怒らなかった。怒りよりも、むしろ…。

「…跡部、着いたで…」

目の前には跡部の住むマンション。ここで忍足は土日を過ごす。それが日課だったが…。

「じゃぁ…俺は帰るで…」

忍足は低く小さな声で言った。ほとんどつぶやくように…。

「待てよ、忍足」

跡部の腕が忍足の腕をつかんだ。

「何や?」

忍足は冷めた目で跡部を見据えていた。

「本当に…いいのか…?」

跡部の問いに忍足はくす。と笑みを浮かべた。

「何や?跡部景吾たる男が、そないな顔を見せるん?もう、俺ら…二人で決めたやろ?」

その忍足の最後の言葉で跡部は何も言えなくなった。

自分がどんなにひどい顔をしているのか、大体想像できた。

「…………」

黙りこくった跡部を気にせずに、忍足は再び静かに言葉を吐く。

「ほんま、行くで…。じゃぁ、元気でな…」

「あぁ……お前こそ…な…」

跡部は何も忍足に言うことも出来ず、ただ…後ろ姿を見送るだけだった。

部屋に戻った跡部は、真っ先にシャワーを浴びた。

何もかも忘れたい。

今起きたことが現実ではないと思いたい。

頭から顔からシャワーを浴びる。

今の跡部にとって、その勢いよく出るシャワーは心地よい。

――忍足――

それでも、忘れることは出来ない現実に跡部の頬はシャワーのお湯と共に涙で濡らした。




『別れよ』

突然の忍足の言葉。

中二の時からの付き合いだった忍足。

最初は本気ではなかった。

次第に本気になったのは跡部の方だった。

そして、唇を重ね、身体を求めるようになってから、二人は相思相愛となった。

それが…突然の別れ。

理由は分かっていた。

お互いに――。

その日からじっくりとゆっくりと話し合った。

そして、結果がこれだった。明日から元の部長と部員に戻る。

後まで本心を語らなかった忍足に跡部は正直ショックだった。

自分の独りよがりだったのか。

跡部景吾ともあろう男が、よりによって一人の男にここまで無残にされた。

「…忍足……俺は…まだお前を――――」

シャワーは止めるまで熱を出し続ける。跡部は呆然とシャワーを顔に浴びた。

――忍足――――

そして…愛しい名をつぶやいたが、それはシャワーの音にかき消された。






「やぁ、今帰り?」

忍足は家に向かっていた。

跡部のマンションから再び逆方向へと歩く。

その目の前で、会いたくない男にであった。

オレンジ色の頭の男――山吹中の千石清純だった。

忍足はその顔を見た瞬間、顔が凍りついた。無意識の内に後退する。

「暇だったら、俺に付き合ってくれない?」

じりじりと間合いを詰める千石。

それを拒み、後退する忍足。

数歩続くと、忍足はその場から逃げ出そうとした。

ガッ

「駄目だよ、逃げちゃ…ね?」

腕を掴まれた忍足は顔だけ千石の方に向ける。

口調は優しい千石の両目の奥が光る。

それを見た瞬間、忍足は恐怖と共に、口が渇いていくのを感じた。

「付き合って…くれる…よね。忍足君…」

―逃げられない―

忍足は世界が真っ暗になるのを感じた…。

―跡部―

意識の中…跡部の顔が浮かんだ。





数週間前

「岳人」

向日岳人は名を呼ばれ、声の方に顔を向ける。

「跡部じゃん、何?」

「最近、忍足が元気ねぇ。お前何か知ってるか?」

「さぁ、俺も実はよく分からないんだ。侑士ってあまり自分のことしゃべらないから」

跡部は向日が言い終わるのを待つと、そのまま何処かへ行ってしまった。

放課後になると忍足は姿をくらます。

問いただしても、何か言うわけでもなく。

ただ、何もあらへん。の一点張りだった。

跡部は校内中を探す。見当たらない。

そろそろ、部活に戻ろうとした瞬間、校舎裏へ向かう忍足の姿を捉えた。



「ねぇ、忍足君って、今、跡部君と付き合ってるんでしょ?」

忍足は草むらに転がされ、何者かに頭を押さえつけられている。

顔や身体中にはたくさんの切り傷が出来ていた。

「君のどこがいいのか、さっぱり俺にはわからないけど…」

何者かの手が忍足の髪の毛を掴み、顔をあげさせる。

「ごめんね、君には恨みないんだけどねぇ、これも跡部君のせいだから…ね」

オレンジ色の頭。忍足はそいつの顔を睨んでいたが、まったく怯んだ様子はなかった。

「忍足っ!」

跡部がその二人の間に割って入る。

「やぁ、跡部君。懐かしいね…。久しぶりってところかな?」

忍足は突然入ってきた存在に驚きを隠せなかった。

「跡部…?」

「千石っ!今更何しにきたんだよ、てめぇーは!」

跡部は千石を睨みつける。

「君のことが忘れられなくて…ね。仕返しをしようかと…思ったんだよ」

千石の目の奥が妖しく光る。

「忍足を…離せ!」

「…おー怖い怖い。今日のところはコレくらいで勘弁してあげるよ。じゃぁね。忍足君」

千石は忍足の髪を掴んでいた手を離すとその場から、何事もなかったかのように立ち去った。

「大丈夫か…忍足?」

跡部がすかさず、忍足を抱え起こす。その時に忍足の首筋に赤い痕を見つけた。

「忍足…、これなんだ?」

忍足はYシャツでそれを隠すと立ち上がろうとしたが、それを跡部が制した。

「答えろっ!忍足。まさか…アイツに?」

驚愕の表情を浮かべる跡部。何も言わない忍足。

「…何でも…あらへん。跡部には関係あらへん…俺のことはほっとき……」

忍足はそのまま、跡部の制しを振り切り、その場を立ち去った。




絶対に忍足は何かを隠している。

しかも、千石とのことで…。

跡部の勘というものがそう、言っていた。

千石とは忍足と付き合う前の…俗にいう元カレだ。

ただ、千石とは道で会った時、そのまま買い物やら何やらで引きずり回された挙句、

ノリもあったのか、キスまで交わしてしまったのが初めだった。


『イカれてるぜ、この俺が…男と、しかも千石相手に?』


次の日ショックだったのを跡部は覚えている。

別にどうでもいい相手。

それが千石清純だった。

もう、会うこともないだろう。と思っていた矢先、千石が何故か氷帝まで来ていた。

「てめぇ、何でここにいるんだ?」

「いや〜この間のキスの味が忘れられなくてね〜来ちゃったよ」

他校の制服を着て、校門の前で千石は、にぱぁ。と笑顔を向けながら、言った。

「ばっ!こんな所で何言ってんだよっ!いいから来い!」

跡部は恥ずかしさと照れを隠すように千石を学校から遠ざけ、誰も通らなそうな路地へ引っ張った。

千石の背中を壁につけ、跡部は睨む。

「跡部も…俺に会いたかったでしょ?」

「俺は会いたくねーよ」

跡部はそういうと、顔を背けた。千石はクスッと薄笑いをこぼした。

「そうなんだ…じゃぁ、もう一度、キスしない?」

その千石の言葉に跡部はそむけた顔を元に戻したが。

「ふ…、ふざけんなっ!誰がてめぇーなんかとっ!」

そう言ったが最後。千石の唇とが重なる。

――知ってる。

俺は憶えている――。

長いキスを受けながら、跡部は意識の奥底で千石を感じていた。

やがて…触れるだけのキスが激しい濃厚で濃密なものに変わる。

舌とが絡み合う音。

周りの音など聞こえないかのように、夢中で二人は互いを貪りあった。

そう…俺も…忘れられなかった――…。

やがて…二人の唇が名残り惜しそうに離れた。

「…どう、これでも…忘れられる?」

激しい脱力感に襲われた跡部を千石は支えながら、からかうように言った。

「…俺様は…忘れて…やるよ…」

跡部は笑みを浮かべていた。

「じゃぁ、セックスまでしてみる?」

千石は終始笑みをこぼしている。

真剣なんだか分からない顔。それでも…跡部は拒否はしなかった。

「忘れたら…終わりだぜ…」

「憶えさせるまで来るだけだよ…」

千石はそう軽く言うと、跡部の首筋に唇を落とした。

それが、二人が身体を重ねた最初だった。




つづく