頂点へ…






「跡部…景吾…か」

榊は机の上に置いてある書類を片付けると、つぶやいた。

彼は氷帝中等部の音楽教師兼テニス部監督だった。

ここ数年、幼稚部にいる跡部景吾なる男子がテニスにおいて、素晴らしい成績を残しているという。

学園内で彼はもはや、シングルスプレイヤーとして、注目を集めていた。


数ヶ月で幼稚部からの卒業生が推薦で中等部に入学してくる。

いい機会だと榊は思った。思うとすぐ行動に移したくなる。

特にテニス部のことになると…だ。

幼稚部のテニスコートで激しい打ち合いをしている。

榊はその試合を終わるまでずっと見ていた。

『なかなか、いい動きだ』

榊の目は段々と試合をしている二人よりも片方のプレイを目で追うようになった。

その男子が強烈なスマッシュを決めた所で試合は終わった。

試合が終了したのを見計らって榊はコートに近づいた。

幼稚部のテニス部顧問が挨拶をした。

「いい試合でしたので、見せて頂きましたが。それよりも――」

榊は試合中に目で追っていた男子の方に顔を向けた。

少し前髪のハネが目立つ顔立ちのいい。ベンチに座って水分を補給していた。

その榊の視線の先に幼稚部テニス部顧問が気づいて、

「流石は榊さんです。彼が跡部君です」

そう、いった。

それが、榊太郎と跡部景吾との出会いだった。




「跡部、今日は体調が悪かったのか?」

部活が終わり、誰もいない部室で榊は跡部にそう、言った。

「…すみません、監督」

跡部はそういったものの、最近はちょっと寝不足気味で、それが祟ったらしい。

体調管理は怠るな。と榊の口癖でもあった。

いくら実力があっても肝心の時に発揮出来ないのでは意味がない。

実力が全てという、氷帝学園テニス部では負ければ即、レギュラー落ちという運命が待っていた。

「跡部――わかっているな?」

「もちろんです――監督」

榊は跡部に近づくとそのまま、唇を交わした。
 

二人がそんな関係になったのは最近のこと。

中等部に跡部が入学して数ヶ月後辺りからだった。

部員と監督、生徒と教師という立場だったため、二人っきり以外は平然としていた。

ただ、二人っきりでも、キス以外はしなかった。

そして…二年になった年。

「跡部、頂点を目指せ」

榊は不意に跡部にそう、言った。

「頂点」

跡部はその二文字の響きに身体が震えた。

「――お前は頂点が似合う。初めて会った時から、感じた」

榊は跡部のプレーに魅了されていた。

鮮やかで、しなやかで、そして美しい技の数々。

もちろん、跡部ほどの実力者は今まで限りなく見てきた。

だが、彼ほど優雅なプレイスタイルを持った者はいなかった。

「来年、二百人の頂点に立つ気はないか?」

「…監督…それは…」

氷帝学園中等部テニス部部長の座。

榊は次期部長候補に跡部を、と考えていた。

今の所、跡部と並ぶ人材は見当たらない。

「いいか、跡部、頂点を目指せ。そして…美しくあれ」

そして、榊は跡部に触れるだけのキスをした。



その日から数ヶ月が経ったころ。

放課後の練習時に、榊はレギュラー陣を呼び集めた。

監督の隣には見知らぬ男子が立っている。

編入生らしきその男子は眼がねをかけてだるそうにしていた。

「忍足侑士や。よろしく…」

跡部はじっとその忍足の顔を見つめていた。

それに榊は気付いていた。

跡部は部活中でもその忍足から目を離すことはなかった。

榊は練習が終わって、ほとんどの人が部室に戻った頃、まだコート内にいた跡部を呼びつけた。

「今日のお前の態度はどうした? 忍足の方を見ていたようだが?」

跡部は自分でも分からなかった。

ただ、忍足という男の存在がひどく気になった。

だるそうな態度。それでいて、テニスは出来る。

そんな態度が跡部は嫌だったのか。

「…監督…すみませんでした」

丁度、忍足が帰ろうとしていた時だった。

「忍足、跡部と試合をしろ」

榊は忍足を呼び止め、そういった。

ほとんど命令口調だったが、それには跡部が一番驚いていた。

「監督…俺は…」

「試合がしたいのだろう、跡部?」

二人のやりとりを黙って聞いている忍足も不思議と跡部と試合がしたいと思っていた。

榊に気に入られている跡部の実力を見たいと思った。

「俺は別にかまへんで」

その忍足の言葉で跡部はフッと笑みをこぼした。

「いいぜ。俺様のテニス、見せてやるぜ」

跡部と忍足はそのまま、コートへと戻っていった。




――跡部、頂点をめざせ――






「跡部、何考えてん?」

隣で横たわる忍足が声をかける。

めがねをとった彼はさらに愛しい。

「いや、何でもない…」

三年になる少し前、跡部と忍足は身体を重ねる関係までいった。

榊とはすでに消滅していた。

徐々に跡部の気持ちが忍足に傾いていくのを感じ取っていたのだろう。


別れは突然に、そして簡単だった。榊から話を切り出した。

翌日から、二人は部員と監督、生徒と先生のただの関係に戻った。


――跡部、美しくあれ――


「忍足、お前、たまには本気になれよ」

「そんなんいってもなぁ。だるいんやからしゃーないやろ?」

忍足のだるさっぷりは直りそうもない。

初めてあった日に試合した時の忍足は本気だった。

跡部の強烈なスマッシュを返した男なのだから。


――頂点を目指せ。お前は頂点が似合う――


忘れられない言葉。

榊との関係が終わったとしても、大切だった人には代わりはなかった。

『俺は頂点を目指す』

それがあの人にあげられる精一杯の罪ほろぼし。

まだ、身近に思い出すKISSの温もり。

榊との思い出は全て眠りの中へといく。

「忍足、好きだぜ…」

跡部はそっと、忍足に唇を重ねた。

「跡部…俺もや…」


おわり