現在(いま)と未来(あした)








――俺はお前のテニスが好きだ。ずっと…お前の隣でテニスが出来たらと。思う――

ザザザザァァァーーー

強く降りしきる雨。

ズボンのすそが何もしなくても静かに濡れる。

柳は目の前に広がったストリートテニスコートに目を向けた。

一面しかないコートだが、テニスをするには十分だった。

あまり人が通らない路地にあるその場所はかなりの穴場だった。

ザザザザァァァァ…

雨はまだ降り続いていた。気分屋のように時折強くなったり弱くなったりする。

「弦一郎…?」

ふと、柳は首をかしげた。フェンスの向こう側のコート面に顔見知りがあった。

ベンチに座る友の姿。いや、友であり、仲間でもあり、恋人でもある男の後ろ姿。

傘も差さず、ただ…それを全身で静かに受け止めていた。

柳は真田の側へと駆け寄った。

「弦一郎、何をやっているんだっ!」

ずぶ濡れの真田の頭上に差していた傘を寄せながら、柳は怒鳴った。

半分、柳の声も聞こえないかのように、真田は普段とは違う、表情をみせた。

「…蓮ニ…どうしたんだ?」

「どうしたんじゃない。ずぶ濡れじゃないか、何をしていたんだ!」

怒鳴る柳に対して、真田は冷静に言葉を発した。

傘を寄せても、まだ真田の顔を濡らすその雫が一瞬、柳の目には泣いているのかと思った。

「練習をしていたんだが…少し考え事をしてしまってな…」

あまり覇気のない真田の調子に柳は心配してしまった。

「とりあえず…着替えるぞ。そのままでは風邪を引く…」

柳は真田を無理やり引っ張ると設置されているロッカーに向かった。

真田は濡れた体を拭き、服に着替える。

柳はそれを静かに見守っていた。その間に二人は何も会話はしなかった。

柳は真田が何かしら、悩んでいることは察しがついたが、何も聞かなかった。

いずれ、彼の口から話してくれるまで…待つつもりだった。

「…蓮ニ…お前の家とは逆方向だ…」

着替え終わり、濡れたウェアをかばんにしまい終わった真田が、口を開いた。

「…近くまで用があったから、お前の家に寄っていこうと思った…それにな…」

柳はそこまでつづけると、真田の顔を見つめながら、口を閉ざした。

真田もその後の言葉を待っているようだった。

「…最近、お前が元気なかったからな…心配だったんだ…」

一瞬だけ、沈黙が流れたが。

「そうか…それはすまなかった」

その真田の言葉が終わると、二人は荷物を担ぎ、そのロッカーから出ようとした。

が、傘を広げようとした柳の傘を真田は手に取るとそのまま大きく広げた。

「弦一郎?」

「心配をさせたお詫びだ。俺が持とう…」

柳は軽くうなずくと、そのまま二人で真田の家へと向かった。



「お帰り、弦一郎。それに柳君もいらっしゃい、ゆっくりしていってね。

雨がすごかったでしょう?お風呂入ってらっしゃい。そのままじゃ、風邪引くわよ」

真田邸。母親が玄関を出た。相変わらず綺麗な女性。

柳は軽く挨拶をすると、弦一郎を伴って家に上がった。

「蓮ニ、すまないが、部屋で待っててくれないか?」

「あぁ、待たせてもらうよ」

柳はそのまま、真田の部屋へと向かい、買ってきた本を読み始めた。

しかし、面白い本のはずが全然面白くなかった。

柳は本に意識を集中することが出来なかった。

考えてしまうのは真田のことばかり。

最近の真田はどこかおかしい。赤也もレギュラーたちも変だと感じ取っている。

先日、その柳の口から悩みの種を聞いて来いと言われていたのだが、

柳は自分から聞くことはしなかった。

いつか、相手が話してくれるのを待つ。

ただ…それをじっと待っていた。

パタンと柳は開かれていた本を閉じた。

落ち着いたら読もう。

そう思いつつ、かばんにしまうことも何となく出来ずに静かに一点を見つめていた。

そんな時、真田が風呂から上がり、部屋に入ってきた。

「どうした。蓮ニ?」

Tシャツとズボンといったラフな格好で入ってきた真田は柳の気も知らず、そう言った。

「…いや…ちょっと考えごとをしていたんだが…」

「考え事?」

真田は柳の隣に座る。ホカホカと石鹸のにおいがあたりを包む。

柳は真田の顔を真剣な表情で見つめた。

「弦一郎…何かあったのか。最近のお前は少し変だ。皆も心配している」

その柳の言葉に真田は驚く。

「…赤也も気付いていたのか…?」

「あぁ」

柳は静かに答えた。

「そうか…そんなにひどかったのか…。蓮ニ…お前にも心配をかけてしまった…」

真田はそこまでいうと…少し黙ってしまった。

柳もそれ以上言えずに、お互い何も会話もなく沈黙がしばらく続いた。

「蓮ニ…進路のことで悩んでいたんだ…」

真田はふと、そうつぶやいた。

進路――悩むのは仕方が無いこと。

もちろんテニスは続けていくだろうが、真田はいまや中学最強といわれるほど、中学テニス界の注目の的だ。

そんな彼を欲しいと思うのは学校に限らず、いくつか留学の話も出ていた。

それで悩んでいたのか。と柳は改めて目の前にいる恋人のすごさを再認識した気がした。

「どうするんだ、弦一郎?」

真田は一旦うつむいた顔を元に戻すと、柳の方をむいた。真剣な表情の真田の顔がそこにはあった。

「正直いって、もっと強い奴と戦いたい。もっと強くなりたいと思う。だが…」

ガバッ

真田は勢いよく柳を抱きしめた。柳は驚いた拍子に開かれることのない瞳を開いた。

「蓮ニ…俺はお前の側にいたい。これからも、その先もずっとだ…」

真田ならば留学を希望するだろう。日本にも強い奴はいるが、世界はもっと広い。

真田にとっていいチャンスかもしれない。

――俺はお前のテニスが好きだ。ずっと…お前の隣でテニスが出来たらと、思う――

「…弦一郎…俺のことを気にしているのなら、それは無用の心配だ」

「蓮ニっ!俺は…ンぐ…」

真田の言葉を遮るように、柳は真田の唇に自分のそれを重ねた。

そして…お互いに長く、激しい口付けを交わした。

「弦一郎。俺はお前と共に生きていたい。ずっとだ…。

たとえ、そのためにテニスが出来なくなろうとも俺は…お前しか…いらない。」

柳は普段決して見せることのない恋人の憔悴しきった顔が愛しく思え、優しく抱きしめ返した。

「…蓮ニ…すまない…そして、ありがとう――」

二人はただ、そのまま互いの肌を、温もりを感じていた。


「ばか者っ!何をしているか。まったく毎回毎回…」

立海大附属中。放課後の練習中。寝坊した赤也が真田に叱られていた。

「たるんどる証拠だっ!グラウンド走って来いっ!」

そこにはいつもの真田の声が響いていた。

「真田副部長…もとに戻ったっすね〜!よかったぁ〜」

赤也は真田の言葉も何のその、嬉しさのあまりに真田に抱きついた。

「赤也っ!離れろっ!」

そんな光景に他のメンバーは笑みをこぼしていた。

――俺はお前のテニスが好きだ。ずっと…お前の隣でテニスが出来たらと。思う――

それから数ヶ月後、立海大附属高等学校に変わらないメンバーの姿があったという…。



おわり